JSK通信

「個人の権利」と「公共の福祉」

代表取締役 上能 喜久治

 

明けましておめでとうございます。

 

 先日、当社社員の運転する社用車が狭い道を曲がろうとした時に民家の塀にこすってしまいました。今回のことに限らず、その所有者が少しだけその塀を控えてくれて道路の幅が広くなっていたらどれだけ多くの人が喜ぶことだろうか、とひしひしと思いました。その所有者は「自分の土地だから目いっぱい建てて何が悪い!」と言うことでしょう。あるいはまた、「高い値段で買った土地だから控えるなんてとんでもない!」とおっしゃるかも知れません。しかし少しだけ塀の位置を控えれば道路幅は広くなり、どれだけ多くの人が喜ぶことか知れません。「自分の土地だから何をしてもいい」というのではなく、人のために、地域のために、という強い想いを土地の所有者には持ってほしいものです。

 

 これとよく似た話がたくさんあります。例えば福島第一原発の周辺地域で汚染された土壌等の中間貯蔵施設や最終処分地を巡って多くの反対運動が湧きおこっています。多くの市町村長は住民の反対を恐れて我が町にそのような施設がくることに強く反対しています。しかし、どこかには作らなければならないのです。このようなときに真っ先に手を挙げて「中間貯蔵施設は我が町で引き受けます!」という首長はいないものでしょうか。当然に強い住民の反対に遭遇します。その時に住民を説得し、納得して頂き、協力をお願いするのです。「この日本の一部の地域が困っている。同じ日本人として我が町がお役に立つのならどうぞ喜んで使って下さい。その昔から日本人はみんなで助け合い。分かち合ってきたではありませんか!」このように言い切ることができる首長こそが真のリーダーです。住民の反対や世論に迎合するだけの首長にリーダーシップを感じません。

 

 「ゴミ焼却場がくれば清掃車で渋滞する」「火葬場がきたら毎日、家の前を霊柩車が通る」などの問題が各地で起こっています。戦後に作られた現行憲法には多くの「個人の権利」が謳われています。しかし第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、つねに公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と書かれています。しかし残念ながら昨今の世相を見ていると「個人の権利」ばかりが叫ばれ、「公共の福祉」が忘れられているように感じます。「公共の福祉」とは世のため、人のため、地域のため、日本のため、地球のためを想い、行動することです。自分の土地が、自分の会社が人様のお役に立っているのか?地域に喜ばれているのか?今一度、振り返り、伸びている会社は世の中から、人から、地域から支持されていることを認識して下さい。

 

 皆様の今年のご多幸・ご健勝を心より祈念申し上げます。