代表取締役 上能 喜久治
父の生誕100年を前に・・・
去る7月4日に私の母が93歳で亡くなりました。死因は老衰でした。痛みも苦しみもなく、眠るがごとくあの世に逝きました。母が75歳の時、一緒に富士山に登りました。80歳を過ぎるまで畑仕事をしていました。母がつくるエンドウ豆はやわらかく、甘くて、それを使って炊くエンドウご飯は最高でした。
両親は戦時中に見合い結婚し、父はすぐに召集され、満州に赴きました。八路軍やソ連と戦った話を何度か父から聴きました。父が属していた連隊の隊長がすばらしい人でその部隊から誰一人としてシベリアに抑留された人はいなかったそうです。
その父も私が30歳の時に他界しました。父は大正3年9月4日生まれで今年が生誕100年にあたります。なんと母も同じ9月4日生まれで今年の9月に94歳になるところでした。そこで9月4日に私たち子供3人、孫7人、ひ孫らがみんな集まって父の生誕100年と母の94歳の誕生日をお祝いしよう、という企画を立てていました。その矢先の母の死でした。
親の愛は無償の愛
先日、一般社団法人倫理研究所の富士高原研修所において開催された経営者セミナーを受講してきました。二泊三日のセミナーの中で「恩の遡源」の講義がありました。一枚の紙が受講生に配られました。その用紙には縦に「幼年期・少年期・青年期」と書いてありました。その用紙の横に「あなたが親からしていただいたこと・あなたが親にしたこと」とありました。「いまからその用紙に記入してください。」と講師の先生が言いました。親からしてもらったことはすぐに書くことができ、その用紙の空白部分が埋まりました。ところが、自分が親にしたことの欄にはほとんで何も書けないのです。幼年期・少年期・青年期と親から多くのことをしていただきながら自分は親にはほとんど何もしていないことにその用紙を前にして痛いほど気付きました。ある一人の受講生はその用紙を前にして号泣しました。「親は自分に多くのことをしていただいたのに自分は何もしなかった。申し訳ない。すいません・・・。」
今の自分があるのは私を産み、育てていただいた親のお蔭です。その両親はもうこの世にいません。これからは親からいただいた愛に対して恩返しするのは家族であり、社員であり、お客様であり、取引先であり、地域の人であり、すべての人・物に対してです。
最後に次の二つの言葉を亡き母に捧げます。
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お腹を痛めて私を産んでいただき、心から感謝します。
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あなたが母で私は最高に幸せです。